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2010年06月24日
慰霊の日*黙とう
昨日は仕事も子供たちの学校もお休みだったので
家でゆっくり過ごしました。
12時に黙とう。
テレビ付けてたら、12時になる少し前から
無音で画面に『黙とうしましょう』と出てたので
子供たちに『黙とうしよう』って呼びかけたら
一人いない・・・。
12時ちょうどになって、娘と一緒に黙とう。
中学2年生が、ちゃんと黙とうするのかな?と思ったら
お目目をつぶって手をあわせてました。
その時いなかったもう一人の存在を、その時はすっかり忘れていて。。。
夕方しんちゃんが書いた日記を見てびっくり。
『今日は慰霊の日だったので、12時に黙とうするつもりでした。
でも、12時ちょうどにトイレに入っていたので
黙とうできませんでした・・・。
次回はちゃんとやりたいと思います。』
次回はって・・・来年かー!?
トイレから出てからでも遅くはなかったと思うんですけど。(泣)
***
近所にある高校では生徒や先生が
鉄血勤皇隊として戦争に加担させられ
たくさんの先生や子供たちが亡くなったそうです。
家から見える学校のグランドに慰霊碑があって
毎年慰霊祭が行われるので
窓からですが、一緒に祈ってます。
※鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)末期の沖縄戦に動員された日本軍史上初の14ー17才の学徒隊。
徴兵年齢に達していない少年を動員した。
沖縄戦当時、沖縄には21の男女中等学校がありました。
沖縄戦では、これらすべての男女中等学校から学徒が戦場に動員されました。
女子学徒は主に看護活動にあたり、男子学徒は上級生が「鉄血勤皇隊」に、下級生が「通信隊」に編成されました。
鉄血勤皇隊は、ほとんどの場合十分な装備も与えられないまま任務を遂行させられた。
具体的には陣地構築、伝令や通信、さらに切り込み隊として急造した爆雷(箱に火薬を詰めた爆弾)を背負って米軍への自爆攻撃を命令され玉砕をした者もいた。
伝令も、同じ文書を複数人に持たせ、そのうち1人がたどり着けばよいという状態であった。
末期になると、直接軍組織に編入されていた彼らの中には、大人の兵士と同様に戦陣訓を使って捕虜にならないように命令され自決したものもいた。
これ読むと、本当に戦争が許せない、絶対やっちゃいけないって改めて思う。
Posted by nancy stickers creator! at 09:43